闘病日記

僕たちの「オリジナル」

先生のお言葉のおかげで、冷静さも取り戻し、治療を続けられるように、しっかり体力を戻していく作戦に。

もちろん、厳しそうなら、中止だって、視野にちゃんと入れる。

常にポーチー最優先で、考える。

先生もついてる。

これだけでとんでもない安心感なんだ。

もしかしたら、もしかしたら最悪な方向に決められていた運命だったのかもしれないけど、その運命に、治療をする、抗がん剤をするという行為をもって抗い、僕らはいい方向に向かってみせる

あまりに、うまくいかないこと続きで、メンタルもきている。正直落ちてる。辛くない日はない。でも幸せじゃない日もない。

ちょっとスピリチュアルな話というか、感覚の話をさせてもらいたい

闘病が続き、思うこと

抗うこと

もう何十年も前のことのように感じるが、たった数ヶ月前。

余命が20日程度と宣告され、そこから2倍3倍4倍と生きられている。

同じ時間を過ごすことができている。

日々ポーチーと過ごせている”本来はなかったかもしれない”この時間にとても感謝している。

そしてもちろんこれからもこの時間を一緒に過ごしたい。

しかし、その「余命20日」という本来あった運命のみちを、医療というある種の裏技で争い、新たなオリジナルの道を生み出し、その道を、歩んでいる。

しかし、”抗うこと”により生じた歪みが、カリシウイルス発動を招いた、別の病気を招いた、、

とか、SFチックな思考になっている。のだが、、

それは医学的にもあり得る話

“何か”を治療したら”何か”が犠牲になったり、他が調子悪くなったり、生き物の体はとても難しい。

生物とはそれほどまでに「完璧なバランス」で作り上げられている。

何かを排除し、何かを直したり、何かを足したら、何かが足りなくなったり。本当にちょっとしたバランスが崩れるだけで、壊れてしまう。

考え方の一つとして「病気になったのは、その体にとって必要なことだった」と言う考え方もある。

だからその病気を無理に治そうとはせず、それを受け入れ、その決められた道を歩く、と言う考え方もある。

ちなみに僕は猫に対してこんなに全力だが、自分の病気とかはあんまり治す気がないというか、「そういう運命」と思えてしまう。

それなのに、猫には強要するんか〜と自分でも最低だなと思う。

しかし、そんな身体がむかえた限界、運命を変える権利が僕らにあるのだろうか。そんな深い思考になっていた。

それによって、ポーチーが苦しむことになることを、僕は選んでしまったのではないかと

そう考えてしまうと、とても申し訳ない気持ちになる。

でも、その先に、ポーチーと笑顔で猫圧や鬼ごっこができる毎日が待ってると信じて、僕たちが作ったオリジナルの道を、一緒に、歩みたい。

ポーチーを苦しめてしまっているこの状況で、前向きな発言をしたくはないのだが、この道を選んでしまった以上、責任は取らねばならないし、意地でも、明るい未来に行きたい。

もとより、こんな珍奇な僕、イカれたお家に迎え入れてしまった時点で、オリジナルすぎる道しかありえない。

漫画にもなってるからぜひ読んでね・・・笑。

ごめんポーチー、寒空にいたポーチーを、狭い家に勝手に連れ込んで、鬼ごっこしたいからマンションに引っ越して、もっとやばい鬼ごっこしたくて家まで建てた僕、そこから闘病になってしまって、もう辛い、もう辞めたいはずなのに、僕が一緒にいたいからって、嫌なことたくさんさせてごめん

ずっと、ずっっっっとわがままばっかり言ってるけど、僕はそのわがままと行動力で、みんなを幸せにしてきてると信じてる。信じたい。

みんながどう思ってるかはわからないがそう思い込みたい。

だから、まだ、ポーチーと明るい未来を歩みたいから、僕の人生最大のわがままを許してください。

絶対、治したい、寛解させたい。

運命に一緒に抗おう

僕たちの人生は常にオリジナルまみれ

ポーチー

また明日も、オリジナルの未来で、必ず、会おう