闘病日記 PR

闘病で気持ちが落ちて落ちて落ちまくって、ふと思ってしまった話

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連日のポーチーの闘病、そしてまさかのムーたんの闘病、たくさんの方に読んでいただけてとても嬉しい鍵りです。

ある日Twitterで

「ポポロンちゃんの今の生命線は、食べることより響介さんのお膝なのか…と思ったら、涙がまた吹き出てしまいました」

というリプを頂きました。

闘病で精一杯で、毎日が精一杯の僕は「ご飯を食べないなんて」「お水を飲まないなんて」「みんなと寝ないなんて」

そう思って毎日焦ったり悲しんだりしていた。

暗がりにいる時間は確かに長いし、何もできていない、そう思ってしまっていた。

でも、こうやって記録を見返せば

僕の膝にいる時間だけは、しっかりあるんだ。

このリプのおかげで気がつけた気がしました。

そうなんだ、ポーチーの生命線、とまでいう気はないが、”唯一”残っている「日常」と言っても過言ではないかもしれない。

ポーチーは、僕の膝に乗るという毎日の日課だけは、忘れないでくれているんだ。

治療の正解はわからない

食べることをしない、飲むことをしない

これは、すなわち「生きる気力を失っている」「生きるという行為を諦めている」そう思ってしまっていた。

そう思ってしまうと

「今僕が、自分が一緒にいたい!というだけの気持ちで、延命を、治療をしているのは間違いなんじゃないか」

そう思って苦しくなる夜もある。

僕はポーチーを苦しめているだけなんじゃ。ポーチーの意思を無視して、こんなことをしていていいのだろうか?

毎日悩んでも答えは出ないし正解もわからない

でも

どんなにお腹が減っても喉が渇いても気持ち悪くても、僕の膝だけは忘れないでくれている。

そう思ったら、これは立派な生きる意思じゃないか。

いや、生きてる証だし、そこに愛が、気持ちがある証拠じゃないか。

ポーチーがどう思っているかは、わからない

でも、この膝に乗る時間が1秒でも伸びるなら、きっとポーチーも、喜んでくれるはず。

そうやって自分の心を落ち着かせることはできた。

実際は・・・

ポーチーは、僕を励ますために乗ってくれてるんだろうな、って。そう思います。

だって飲まず食わずのポーチーより、はるかに元気ないんだもん笑。

そりゃ心配にもなるよね。

日常を感じさせるために、膝に乗って、幸せな気持ちの大事さを教えてくれてるんだよね。

そんな都合のいいエゴ丸出しの考え方は嫌いなんです。

でも、それで心が保たれる気がしました。

このリプのおかげで、改めてポーチーと過ごせているこの毎日が、如何にかけがえのないことで、そして、今自分がしていることが、未来につながっていくんだ!と心が強く慣れた気がしました。

こうして第三者目線というか、読者の方から、温かい言葉や、自分にはない視点からお言葉をもらうことで改めて気がつけることもたくさんあって、たくさんの大事なことに気がつけます。

感謝。

荒ぶりがちな僕ですが、優しく見守っていただければ幸いです。

きっと僕がこういう記事を書くことで「ああ、そんな考え方があったんだ」と救われる方も、少なからずいてくれるはず。と信じて、毎日記事を書きますよ。

たくさんの気付きを、残します。

みんな、大好き

ポーチー、また明日