不治の病の闘病
それは、本当に地獄へ続く道
正解がない。そして不正解も、きっと。ない。
自分の選択に責任を持つこと
飼い主としての覚悟と責任の度量をまざまざと試される
何もしてあげられなかった後悔が勝るのか
何かしてあげた結果、自分の手で苦しめてしまった後悔が勝るのか
やってみないとわからない。
改めて
闘病初期から読み返してみてほしい。
心構えや考え方が、大きく変わっているだろう。
この闘病記を残すことで、何か世の中のためになれば
そう思って始めたことだが
この闘病記を残したおかげで
自分の気持ちの変化や大事なことにも気がつけた気がする。
我々飼い主が、闘病を決めたのであれば
そこに後悔は持ってはいけない。
そこには責任と覚悟だけを残せ。
「ここまでやってきたこと全てが、最善であり、最適解」

誰も、間違ってない、誰も、過ちを犯していない
猫のために、愛猫のために、闘った事実を、否定してはならない
闘病には正解はない、不正解もない
あなたが愛猫のために過ごしたこの時間は、絶対に間違いであるはずがない
闘病を選択しなかったのも、自然に過ごしてもらうため
闘病を選択したのも、もっともっと一緒にいるため
闘病を諦めたのも、これ以上無闇に傷つけないため
闘病するもしないも、選択は飼い主。
その責任は全て飼い主。
動物を飼うというのは、そういうこと。
だからこそ、自分で選択したその判断を、自分自身で否定してはいけない。
「お前が、私が、選んだせいでこうなった!」
なんて考えないで。
「全てが、最善であり、最適解」
答えがない道、一緒に歩いてきた事実だけが、正解で現実。
闘わないでこい時間を過ごすのも
闘って、辛い中でも長く過ごせたのも
全て正解でいいじゃないか。
「きっとこの日向が好きなんだね〜」
「きっとこのご飯が大好きなんだね〜」
こうやって人間のエゴで、さんざん勝手に猫の感情決めてきてるじゃないか
都合いい時だけ人間のエゴ無効にすんな!
「きっとうちの猫は、世界一幸せだった!!!!」
そう言い切って、前をむこう
まだ、過去形にはしない
「我が家の猫を世界一合わせな猫にする」
そのために、責任もって、頑張る
響介