日々一つ一つ失われていく当たり前
毎日、一つずつ、少しずつ”当たり前”が失われていく
大きく見てもたくさんある
多分細かく見たらもっともっとたくさんある
大きく見れば
- ご飯も自分で食べられないし
- 好きな場所で眠ることもできない
- みんなと遊べない
- 他にもたくさん。
小さいところで言えば
- 爪を片付けられなくなってきている(爪をしまえない)
- 尻尾の毛がずっとボサボサ(多分毛を調整できる神経が変
- 耳の角度が左右で違う
もう細かいところは無限だ。
病がきっかけで、”当たり前”は簡単に失われていってしまう。
しかし、これはいわゆる老衰でもきっとそうだろう。
長く生きて、長く過ごしていれば、少しずつ、ゆっくり、“当たり前”が“当たり前”でなくなることもある。
冷蔵庫に一っ飛びだった子が気がつけばワンクッション置かなければ登れなくなっていて
気がつけば、冷蔵庫の上にいることも無くなったな、キャットタワーに最近登らなくなったな、
人間と同じように、関節などの変化は著しいものがある。
病だろうと、老衰だろうと、“当たり前”が失われる瞬間は突然やってくるのだと。
そしてそれは否応なしに襲ってくるし、選択権もない。
「あ!あ!関節の老化は一旦延期でお願いします〜!」
なんてできないからね。
できたらいいのにな。
いつでも“当たり前”が消えていくのは「気がつけば」結果的にそうなっているものだ。
“当たり前”を“当たり前”にできるように、僕ら飼い主は一所懸命、日々を送っているはずだ。
そして、動物と暮らし出すときに“当たり前”が“当たり前”じゃなくなる想像なんて、してる人の方が少ないだろう。
僕自身無限ハッピーだと思って、みんなと暮らし始めた。
この幸せは一生永遠に続くんだと、我が家の猫に限って、失われるなんてことはないんだと。
そう思って生きてきている。
いまだにそう思う。
しかしいざ“当たり前”を失っていくポーチーを目の当たりにして、強く思うことがある
全ての“当たり前”を失おうと、奪われようと
絶対に奪えない“当たり前”がある
それは僕!!!
僕自身だけは何があろうとポーチーの“当たり前”で居続けてみせる
僕という、飼い主という、その存在、その“当たり前”だけは絶対に揺るが無い。
たとえ、一歩も動けなくても
たとえ、一口も食べれなくても
たとえ、眠れなくても飲めなくても・・・
そして、いつか来る最期を過ぎたその先も永遠に未来永劫
必ず僕という“当たり前”だけは、そこにいる。
もし、来てしまった時の「お別れ」のタイミングの、そのさきも、ずっっと。”当たり前”で居続けるから
僕は闘病で“当たり前”を失っていくポーチーを見て、その誓いを強く刻んだ。
これを読んでくださっている皆さまも
あなたのお家の、家族の、“当たり前”で居続けることこそが、我々人間をここまで幸せにしてくれた愛猫への、最大の恩返しとなるということを覚えておいてほしい。
“当たり前”を大事に、“当たり前”に、“当たり前”を本日も“当たり前”に!!!
頑張るぞ
僕は、世界一幸せな飼い主で、世界一猫を幸せにできる飼い主だ!!
“当たり前”に!!ね!!!!
何か力になりたい!そう思ってくださっている方へ

「どうにかポポロンくん、響介さんの力になりたい!」
その一心から僕が関連している企業様や出版社様へ、お守りや物資をお送りしようと思ってくださっている方が多く感謝の気持ちでいっぱいです。
・・・が、出版社は僕の所属事務所!とかではないため、大量に物資が届いてしまうとお仕事のご迷惑になってしまったり、大変なことになってしまいます。
そこでそれらの対策として、大変心苦しくはあるのですが、処分に困るものや、消費が大変なものがたくさん届いてしまうのを避けるため、フォロワーさんからのアドバイスも受け、お気持ちは「投げ銭」形式で行って頂ければ幸いです。
下記リンクからApple Pay、クレジットカードなどで500円〜お支払いが可能です。
投げ銭後に表示されるページに、少し未来のポーチーのお話を少しだけ書いています。
こちらも記事の進み具合に合わせて、未来の僕の気持ちとして自己満?発散?も兼ねて定期的に更新されていくようにしています。
再三お伝えしますが、これは「治療費を分けてくれ〜!」という旨のクラファンのようなものでは断じてございません。
治療費は自分で出します。出せます。投げ銭0でも問題ありません。
あくまで、皆様の善意を受け取る場がご用意できないか「結局何もらうよりもお金が一番応援になるよ!なんでもするよ!」というたくさんのご意見をフォロワー様方から頂けたので現状善意を受け取れる最善方法だと思っております。
気持ち的には「ブログためになったよ〜」的な、読了的な感覚でいて頂けるとな嬉しいです。note的なね・・・。
毎日の様子を投稿できるよう頑張ってまいります。
毎日、読んでね。
このブログは僕自身の精神を守るため笑、取り乱して文脈や情報がごちゃごちゃにならないようその日その日、当日に書き綴ったものを後日修正し、時系列をずらして書いております。
闘病の当日に書いた日記や想いをもとに少しでも読みやすくなるよう丁寧に書き直し、一人でも多くの方に伝わるように努めています。
日記を見返しながら書く作業、闘病や辛い想いを2度経験しているようで辛い日もありますが、どんなに辛い日々だとしてもポーチーとの大事な毎日です。
遅筆になり不思議なところで日を跨ぐこともあるかもしれませんが、どうかご容赦いただければ幸いです。
この闘病の経緯を知りたい方は、こちらから読めます。