闘病日記 PR

「その時」の覚悟 

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先日メインブログでもお伝えしました通り、実家の村松くん(通称ムーたん)が色々なことが起きて一瞬の出来事で亡くなってしまいました。

https://rikkusora.com/rikku/mutan7

みんなと会って、父親に海ドライブ連れていってもらって、火葬ののち、お骨となって帰宅した。

その写真、工程を見て僕は改めて

「ポーチーが今もなお、生きていてくれている奇跡」

を感じてしまいました。

もちろんムーたんにも、もっともっと長い時間、生きていてほしかった。

ムーたんに対して失礼な言動です。本当にごめん。

しかしポーチーとの闘病を続けている僕には、他人事ではないどころか、

これら全てが、

どこかの未来で、

いつか、通過しなければならない道なのだと、

痛感してしまった。

帰宅してポーチーと、そしてみんなにムーたんのことを伝えた

みんなもまあ会ったことはないのだが、親戚みたいなもんなので・・・。

お骨として、ツボに入ったムーたんを見て、変な現実味が、襲いかかってきてしまった。

ポーチーと戦い続けている僕にはあまりに現実味がありすぎた。

ましてや抗がん剤が、もう使えないかもしれないと。

八方塞がり一歩手前の状態の現状。

https://rikkusora.com/rikku/poporin169

いつ、こう言った現実に晒されてもおかしくない。

分かってはいた。

分かってはいたが、目の当たりしにて一気に恐怖に支配された。

そしてそれと同時に

”その時”がきたら

僕は、どうなってしまうんだろうか

と考えた。

闘病当初からの心境の変化

「完治だぜ!」「寛解だぜ!」と前向きに始めた治療だった。

しかし、何をやってもやらなくてもうまくいかない。進まない。

そんな毎日の中で、日々選択肢が減っていき、”その時”は否応なしに迫ってくる。

僕は”その時”どうするのか

そして”その時”はどういう場面で、どういう状況で、どういう環境で、どういう思いで

どうなっているんだろう

想像したら恐怖だった。怖かった。辛かった。だからほぼ一度も考えていない。

ただ、ただ一つだけ願うことはある

それは#

「どうか、僕の手の中で”その時”を迎えてほしい」

何がどうなっても、僕の膝と、僕のギターだけは好きでいてくれてるポーチー。

どうか、僕の腕の中で、”その時”を迎えてくれ。

初めて、現実的に具体的に”その時”を考えた。

考えたくないよ。

だって辛いもん。

嫌だもん。

そうならないようにしてるもん。

でも、きっと考えなきゃいけないんだ。

それも、飼い主の、勤めなんだ。

責任なんだ。

ポジティブにバカみたいに明るい言葉だけで乗り越えられない時もあるんだよ。

そうなった時の責任を、果たすために。

ちゃんと、”その時”を考えなければ、いけないんだ。

ムーたんは、とっっっっっっても大事なことを僕に教えてくれたんだ。

ムーたんに勝手に約束

ムーたん。

”その時”がもし、きたらさ。

ムーたん、ポーチーと鬼ごっこしてあげてね。

絶対ポーチーには勝てないけどな。

そんでさ、またみんなで会おう。

わからない未来。でも確実に来る、未来

具体的すぎることは考えられない。

いつとかどことか、それは神のみぞ知る。

いや、もしかしたら、それすら僕が決めることになるのかもしれない。

でもそれでも、”その時”のことだけは、少し、真面目に考えるようになった。

今まで酒続けてたんだ。”その時”のこと、考えるの。

だって、怖くて

恐ろしくて

辛くて

絶対に受け入れられないと。

でも今、全てがうまくいかなくて、それでもポーチーはまだそばにいてくれてる。

でも、もしかしたら、目を細めたら見えるくらいの場所に”その時”が迫ってるのかもしれない。

もしかしたら、迫ってないのかも、しれない。

わからないからこそ”その時”のこと、しっかり考えなきゃいけないんだ。

だからと言ってね

”その時”に向かって歩むつもりはない。

まだ、まだ抗い続けてみせるよ。

ポーチーと、一緒にいたいから。

みんなで、猫圧したいから。

「ムーたんの分まで生きる」

・・・なんて失礼なことは絶対に言わない。そんな言葉が大嫌いだ。

ムーたんの最高の人生に負けないくらい!!!ポーチーも幸せにする!!!!!

ポーチーを、みんなを、幸せにする

ポーチー!みんな!また明日

ムーたん、あっぱれな人生を、ありがとう

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