僕は闘病生活が始まる時には
「どうリンパ腫をぶちのめすか」
だけをひたすら考えていた。
それが次第に
「どうポーチーと向き合っていくか」
「どう生活の質を高められるか」
と、ある種の弱腰になっていた。
その都度、その都度、最適解を探して、目指して、それでもうまく行かなくて
何度も葛藤した、何度も苦しんだ。
でもそれ以上にポーチーは苦しいんだと、しんどいんだぞ、と。
でも、自分が苦しくて、自分が辛くて、悲しくて、やり場のない感情を右往左往している時にふと思う
何でこんなに辛いんだ
出会ってしまって、愛してしまって、、とまるで恋愛ソングのリリックのような思考。
こんなに辛いなら愛さなければよかったとか、出会わなければよかったとか、まさに恋愛ソングのような思考になりかけた。
でも、
愛してきたことが、間違いな訳がない。
闘病然り、終活然り、最後の瞬間然り
愛せば愛すほど、愛してきた分だけ、後悔するし、苦しむ。
そんなの当たり前なんだ。
今辛くて、後悔して、悩んで葛藤して苦しんでる分だけ、愛してる証拠。
愛してきた事実が、間違っているわけがない。
だから、この苦しみは至極真っ当で、至極当然のこと。
だって、僕は、ポーチーを愛しているから
当たり前に一緒にいられる時間が少ない、なんて考えたら
苦しいに決まってる
だって、まだまだ無限に一緒にいたいもの
僕はこう考えた
今僕が苦しい分、辛い分、悲しい分、悩んだ分葛藤した分、
ポーチーは、猫たちは、きっと幸せなのではないだろうか?
人間のエゴ炸裂なのは、わかってる。
でもこんなに苦しくなるほど、こんなに辛くなるほど、愛した証拠
きっと、きっと、伝わってくれてる
いや、もしかしたら
と思われてるかもしれない笑
しかし、それはそれで
と思ってもらってる証拠かもしれない。愛やんけ!
なんにせよ
この僕の苦しみは、反比例して、猫たちが幸せだったことに、つながっているんじゃないか?
そう思うことで、自分が苦しむ意味や覚悟が、生まれた気がした
悲しむ意味が、辛い意味が、生まれた気がした。
こうなったら、とことん苦しんで、とことん悲しんで、その上でとことん笑って、とことん一緒にいてやる!!!!!
だって大好きだもん!!!
今、闘病やペットロスで苦しむ皆様
その苦しみは正解だぜ・・・
苦しいほど、愛があったんです
苦しいほど、一緒にいたいんです
苦しめば苦しむほど(言い方)それは愛の痛み!
「ああ、こんなに愛していたんだ」
そう思って突き進むべし。
そしてその気持ちは必ず猫に届いてる
「こんなに苦しんでくれてる。ありがとう」
と、きっと、思ってくれてる。
実際は知らん!!!!←
でも、辛いってことは
愛ってことよ
久々にうまくまとまらないブログを書いてしまった笑。
自分を責めたり責めなかったりするために、自分の気持ちと向き合うために書き残しています
初めての闘病生活
考えもそりゃコロコロ変わるよね
とにかく、みんなの幸せのために
頑張るんやい