僕はポーチーとの闘病生活を過ごしている。
日々の毎日投稿、読んでくださっている皆様ありがとうございます。
ポーチーのクオリティオブライフを、とにかく意識して、生活の質が上がるように、毎日意識を、感覚を研ぎ澄まして、頑張っているつもりだ。
しかし余命宣告の日数よりも長生きできている事実はあるものの、「生活の質」が担保されているのだろうか?
と、自分自身に疑問は残る。
でもとにかく毎日を頑張って、毎日、1日1日を大切に過ごさなきゃダメなんだ。
頑張るぞ
と意気込む日々。
を一ヶ月強過ごして、気が付いたのだ。
他の猫たちとの時間も、全てが大事な時間
そんなこと、わかってる。それはできてるつもり。
でもそれは
ただの”つもり”だった。
僕はポーチーとの時間を大事にするあまり、他の猫たちとの時間がほんの少し減ってしまっていたみたいだ。
自覚はほとんどない。
今までより家を空ける時間も極端に減らしているし、ポーチーと過ごすのと同時に、みんなとも過ごすし、ポーチーが寝ている時はみんなとも遊ぶ。
でも、改めてしっかり振り返ってみれば
「全員が平等」であるわけがなかった。
もとより、性格ごとに、距離感や過ごし方の最適解はそれぞれ!としていたのだが、それにしてもやはり、ポーチーポーチー!になってしまっていた。
特に異変、変化がわかったのは、
やはりリュック
24時間体制で僕にべったり。トイレに行けばトイレに、風呂に入れば脱衣所に。仕事をしてればスタジオの前に。リビングにいれば僕の腕の中に。
寝る時は僕の顔面を足おきに。
必ず一緒に過ごしている。
そんなリュックが、闘病が始まってから、ポーチーの異変にすぐ気がつき、僕がポーチーの看病をしていることにも気がつき、嫉妬をするでもなく・・・
ただただ見守るように、そばにいてあげたり、無理やり僕に擦り寄ってきてポーチーから僕を奪うような行為もしない(普段はたまにある)
僕がポーチーの様子を見てる時は、一緒に様子を見てるし
ケージの見張りもめっちゃするし
僕がポーチーを抱いている時は少し離れた場所から僕らを見守っていた。
ご飯もポーチーが食べなければ「食べなくてええんか?」という顔で見ている。
僕がポーチーが心配すぎて深夜5分おきに起きてポーチーの様子を見ていても、リュックも起きている。
こいつは、、、本当に優しい猫だ。
気が使えて、優しくて、家族思い。絵に描いたような最高の大黒柱。
そんなリュックもまさか一ヶ月二ヶ月とこんな状態が続くとは思っていなかったのだろう。
ある日突然。
赤ちゃん返りをした
僕から一ミリも離れない!僕が歩いても足に引っ付いている。
ちょっと離れれば「にょ〜〜〜」とずっと鳴いている。
寝転がれば走って僕の上に。立ち上がれば一緒に立ち上がって抱っこをせがむ。
ポーチーとの闘病生活で、一緒に頑張ってくれてたリュックだったけど
という感情が爆発したのだろうか。
こんなに露骨に変わる?ってくらい変わった。
と言わんばかりの目線だ・・・見たことない顔すぎる・・・
しかも・・この嫉妬タイムは・・・
その日だけだった
翌日はまた冷静になり
と言わんばかりの表情で、こちらを見ている。
ついつい感情が炸裂して、甘えてしまったリュック。
それが深層心理で、本音なんだよね。
わかってるよ。伝わってる。
きっと、僕、ポーチー!!!!!って、一色になってたんだよね。
それなのに、「仕方ないことだぜ」的な顔で、一緒に過ごしてくれて、ありがとう。
たくさん甘えてくれてありがとう。
むしろ遠慮しないで、もっとガンガンきていいんだぜ。
みんなが家族。みんなが一番。
みんなが大好きだよ。全員が世界一で、全員が一番!
改めて、闘病は全員でするものなんだと、実感させてくれたお話でした。
リュックは最高の大黒柱だ。