飼い主の心が壊れた日。それは別れの日ではなかった【ペットロスの現実】
※大分精神的に重い記事です。そういうのが気分悪い方はそっと閉じてください、、
ポーチーとお別れをして、はや数年が経ってしまった。
リンパ腫の闘病を終え、辛い日々の記憶も少しだけ薄らいだように感じる。
歳月は冷酷なもので、最初は毎日のように抱き抱え家中を闊歩していた骨壷も、週に一回になり、枕元に置いて寝る回数も減って感じる。

ブログや書籍は時差を作って投稿して、未来記事を読んでくださっていた方々はリアルな時期をご存知かもしれないが、とにかく数年。だ。
詳細を知りたい方はこちら
闘病で突っ走って、通院で突っ走って、毎日必死だった。そこから闘病を終える決断をして、終活期に入った。
そこはもう幸せの極みだと、今でも胸を張って言える。
本当に幸せな時間だった。もう一度あの時間を過ごしたいと思える程には、幸せな時間だった。
もちろん戻れるのなら、超絶元気なあの時に、戻りたいけどね。

突っ走り続けたおかげで、読者の方の想像する何倍も、気持ち的には楽?で、よそ見をする暇もなかったので、ただただ目の前のことを乗り切るだけ、という感じだった。
ポーチーとお別れをして、1年がたって、それでも、気持ちは意外と晴れ晴れしていた。
「やれることは、やったんだ」
きっとそう思えていたからだと思う。
そこから一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ。
時が経つにつれて気持ちに翳りが見え始めました。
何をしても100%で笑えない。100%で楽しめない。
でもそれがポーチーと関係しているとすら思わなくて、ただただ、なんか暗い。なんか辛い。
でもまあ夜だけのことなので気落ち的な感じかな。
そう思って、普通に、過ごしていた。
そして以前書いた記事の通り「曲がまともに書けない」という状況に陥ってしまった。
それでも「まあ、曲書けないなんて、下積み時代では当たり前だったし、眠かったり疲れてたりするとそうなることもあるしな」
と「認めよう」としなかった。
気合いで仕事して、気持ちで乗り切って、さらに数ヶ月、さらに数ヶ月
月日が経ったある日、ふと僕は「ーーー」と考えるようになってしまった
